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最高裁判所第二小法廷 昭和46年(あ)1658号 判決

主文

原判決を破棄する。

本件を東京高等裁判所に差し戻す。

理由

弁護人宮川光治の上告趣意は、事実誤認の主張であつて、適法な上告理由にあたらない。

しかし、所論にかんがみ、職権をもつて調査すると、原判決および第一審判決は、後記のように刑訴法四一一条一号三号により破棄を免れないものと認められる。

すなわち、本件公訴事実の要旨は、「被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるが、昭和四二年七月一五日午後六時三〇分ころ、普通乗用自動車を運転し茅ケ崎市南湖六丁目一五番三号先の交通整理の行なわれていない交差点を藤沢方面から南湖院方面に向い右折するにあたり、同所において、右折の合図をし、徐行しつつ対向車両との安全を確認し交差点の中心の直近の内側に寄つて進行すべき注意義務があるのに、その合図をしたが、(一)対向する星新造(二〇年)運転の自動二輪車との安全を確認することなく、かつ、(二)交差点の中心の直近内側に寄らないで小まわりに時速約三キロメートルで右折進行した過失により、対向して来た右星運転の車両の前部に自車の右前部を衝突させ、同人を路上に転倒させ、よつて、同人に加療約四か月を要する右下腿開放骨折の傷害を負わせたものである。」というものであり、被告人の過失として右(一)(二)の二点を掲げていたが、第一審判決は、このうち(一)の過失を認定せず、(二)の過失だけを認定し、その余の点については公訴事実とほぼ同趣旨の罪となるべき事実(ただし、傷害の加療期間を約二年六月とする。)を認定判示して、被告人を罰金二万円に処する旨を言い渡した。

これに対し、原判決は、右(二)の過失は本件事故と直接の関係が認められないから、この点を本件事故の原因であるとした第一審判決には事実誤認があるとしながら、第一審判決挙示の証拠を総合すれば、被告人に右(一)の過失があつたことが認められるとし、その具体的内容として、被告人は普通乗用自動車を運転して幅員約10.1メートルの国道を進行し、本件丁字型交差点において南湖院方面に通ずる市道へ右折しようとしたが、このような場合、自動車運転者としては対向車線上の安全を確認し、直進車両の速度、距離等を勘案してその進路を妨げないように運転すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、直進してくる対向車両一台(以下前車という。)の通過を待つため国道の中央線に沿つて一時停止した際更に約七一メートル前方の対向車線上に星新造運転の自動二輪車(以下星車という。)を認めたが、前車が通過した後星車の前方を横切つて右折しうるものと軽信し、漫然右折を開始して約二メートル進行し、自車前部を中央線より約一メートル斜め右前方の対向車線上に進出させた過失により、星車が約24.9メートルの距離に迫つたとき危険を感じて停止したが間に合わず、停止直後に自車前部右側を星車に接触させて星車をその場に転倒させ、星に対し第一審判示のような傷害を負わせたものである旨を認定し、しかしながら第一審判決の事実誤認は判決に影響を及ぼさないとして、結局被告人側の控訴を棄却している。

しかし、第一審判決挙示の被告人の司法警察員に対する各供述調書によれば、被告人は一時停止して前車の通過後約七、八〇メートル前方に星車を発見したが、距離がまだあると思つて右折を開始したものであることがうかがわれ、その余の証拠資料によれば、南湖院方面に通ずる市道の幅員は約一七メートル、星車の当時の時速は約五〇キロメートル程度のものであつたことがうかがわれる。

ところで、車両が、幅員約10.1メートルの車道を進行して交差点に進入し、幅員約一七メートルの交差道路へ右折のため一時停止している場合、対向直進車との距離がなお七〇メートル以上もあるときは、対向車が異常な高速を出している等の特別な事情がないかぎり、右折車の運転者は、対向車の運転者が交差点進入にあたり前方を注視し法規に従つて速度を調節する等正常な運転をすることを期待しうるのであり、そうであるとすれば、右折車が対向車の到達前に右折し終わることは通常容易なことと認められるから、仮に被告人が同様の判断をもつて右折を開始したとしても、これをただちに軽率な行為として非難し、対向車との安全確認を怠つたものと断定することはできないものといわなければならない。

また、原判決の判示によれば、被告人は右折開始後道路中央線より約一メートル対向軍線上に自車を進出させたとき星車が約24.9メートルの距離に迫つたのを認めて停止したというのであり、第一審判決の判示によれば、その際被告人車の右方(北方)の道路部分にはなお幅員四メートル以上の余裕があり、他に何らの障害物もなく、交差点に進入する時の星車の速度は時速五〇キロメートルであるというのであるが、もしそうであるとすれば、被告人車が約一メートル中央線を越えたとしても、星において、急制動の措置をとるなり、僅かに左転把をしさえすれば、容易に衝突を回避できたはずであり、被告人としても星がそのような適切な措置を講ずるであろうことを期待しうる状況にあつたというべきであるから、原判決判示のように、被告人が自車を対向車線上に約一メートル進出させたことをもつて本件事故の原因となる過失にあたるものと解するのも相当でない。

したがつて、以上の諸点につき検討を加えることなく、ただちに被告人に星車との安全確認を怠つた過失が認められるとした原判決には、理由不備、審理不尽または重大な事実誤認の疑いがあり、これらの違法は判決に影響を及ぼすことが明らかであつて、原判決を破棄しなければいちじるしく正義に反するものと認められるから、刑訴法四一一条一号三号により原判決を破棄し、同法四一三条本文により本件を東京高等裁判所に差し戻すこととし、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。(岡原昌男 色川幸太郎 村上朝一 小川信雄)

検察官の答弁

弁護人の上告趣意は事実誤認を主張するに過ぎないので、適法な上告理由にあたらない。

しかしながら事案にかんがみ若干所見を申し述べる。

一、本件公訴事実は要するに「被告人が本件交差点を右折するにあたり、右折の合図をし、徐行しつつ対向車両との安全を確認し、交差点の中心の直近の内側に寄つて進行すべき注意義務があるのに、対向する被害者星新造の運転する車両との安全を確認することなく、かつ交差点の中心の直近の内側に寄らないで小廻りに時速約三キロメートルで右折進行した過失により、本件事故をひきおこした」というのに対し、第一審判決は、右公訴事実中、対向車両との安全確認義務を怠つた点にふれることなく、被告人が右折するにあたり、交差点の直近の内側を徐行しなかつた点に本件事故の原因があると認定し、被告人に有罪の言渡をしたのであるが、被告人および弁護人から控訴の申立がなされ、原審は、第一審が認定した被告人の前記過失行為は本件事故と直接の関係がないから、右認定は事実誤認を犯したそしりを免れないとしながら、前記公訴事実中本件事故原因の一つとして掲げられている被害車両との安全確認を怠つたことの過失により本件事故が発生したと認定し、第一審判決の事実誤認は結局判決に影響を及ぼさないものとしている。

二、上告趣意は、原判決のこのような認定を被告人の防禦権の行使を妨げたものであるかのごとく述べているが、被告人側のみが控訴したのに、原判決がその理由中で、第一審判決が認定した原因行為を排斥し、同一訴因の内容をなす別の原因行為により有罪の認定をしても、もともと控訴の効力は、一個の事件全部につき不可分的に及ぶのであり、しかも原審における審理の経過に徴すると、検察官は弁論にさいし、本件訴因のうち第一審認定にかかる交差点中心の直近内側を徐行すべき右折注意義務を懈怠した事実も含めて公訴を維持する旨発言し、弁護人もこれに対する弁論を行なつていることが明らかであるから、被告人に不意打を与えたとは到底認められないのである。

三、さらに上告趣意で主張されている事実誤認の論旨はすでに原審でも主張されたことであるが、原審認定のとおり、「被告人が右交差点の中心より約一〇メートル位手前において、直進する対向車両一台を認めたので、その通過を待つため、国道の中央線に沿つて一時停止したが、その際約七一メートル前方の対向車線上に被害者の運転する自動二輪車を認めたものの、被害車両の前車が通過して後、被害車両の前方を横切つて右折しようとして、右折を開始して約二メートル進行し、自車前部を中央線より約一メートル斜め右前方の対向車線上に進出させた際、右対向車線上を中央線に寄つて進行してきた被害車両が約24.9メートルに迫つていたため、衝突の危険を感じ、その場で停車措置をとつたが間にあわず、自車前部右側を被害車両に接触させて転倒させた」ことは、証拠上明らかであり、これと異なる所論は理由がない。また右認定事実に対し、所論は、被告人の車両は交差点において、すでに右折していたのであるから、道路交通法第三七条第二項(上告趣意は同条第一項を引用しているが、第二項の誤まりと思われる)により、被告人の運転する車両に優先権があり、被害者の前方不注視、制限速度超過の無謀運転こそ本件事故の原因であるとするのであるが、同条第二項にいう「既に右折している車両等」とは、右折を開始しているとかあるいは右折中であるというだけでは足りず、右折を完了している状態またはそれに近い状況にある車両等をいうと解すべきところ(昭和四五年(あ)第六八九号、昭和四六年九月二八日最高裁第三小法廷決定)、本件については、右認定のとおり、被告人は「自車前部を中央線より約一メートル斜め右前方の対向車線上に進出させた」に過ぎず、「既に右折している車両」とはいえないのであるから、同条第二項を適用する余地がない。

してみれば、当然同条第一項により、直進車である被害者の車両に優先権があることとなり、所論は理由がないものといわなければならない。

よつて本件上告は棄却すべきものと思料する。

弁護人の上告趣意

原判決は、これを破棄しなければ著しく正義に反すると認められ、判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認がある。

一、そもそも本件は、被告人には「右折の合図をし、徐行しつつ対向車両との安全を確認し、交差点の中心の直近の内側に寄つて進行すべき注意義務があるのに、その合図をしたが、対向する前記被害者運転の車両との安全を確認することなくかつ交差点の中心の直近内側に寄らないで小まわりに時速約三キロメートルで右折進行した過失」があるとして起訴された。

このように公訴事実は、本件交通事故を発生せしめた直接の具体的注意義務違反が対向車両との安全確認義務違反なのか、交差点の中心の直近の内側右折義務違反なのか特定せず不明確なものであつたが、一審の証拠調は主として後者におかれ、交差点の中心がどこであるかが論争点となり、一審判決は前者を排除して(そうしたのは、前者を過失としてとりあげることが到底できないと判断したからであろう)、後者のみを過失としてとりあげた。

従つて原審における被告人の防禦権の行使も後者におかれたところ、原審判決は被告人側の主張をいれて一審判決には事実誤認があるとしながらも、無罪にすることなく、一審判決が排除した対向車両との安全確認義務違反をとりあげこれをもつて本件における被告人の過失とし、結局、右の事実誤認は判決に影響を及ぼさないとした。

このようにたまたま、訴因が不明確であつたのが奇貨とされて判決に影響を及ぼすべき事実誤認がないとされたのであるが、原審の判決は以下に述べるとおり刑訴法第四一一条三号の事由があつて、破棄しなければ著しく正義に反する。

二、被告人の供述は、事故当時の昭和四二年七月一五日付司法警察員に対する供述調書においては、「上りに進行するトヨペットコロナの進行をまつてセンターラインを進行方向に約一メートルこえて一時停止した。その車を待つている中、七、八〇メートルの前を西側から東側へと進行中のオートバイに乗つた男を発見したので私はそのオートバイの進行をまつ気持になり、その場で……停つたままになつていた」ところ、私の車の前部の右隅に相手のオートバイの前輪が衝突したとなつている。

一方、昭和四三年三月一三日付実況見分における指示証明と同日付被告人の司法警察員に対する供述調書では、内容がかわり、「右折しようとして方向器を右に点滅させて対向自動車があつたのでの地点で停車した。その時平塚方向から藤沢方向に向つて直進してくる被害者を(弁護人註―より七一mの地点)に認めた。そのうち被害車両の前を走つていた自動車が通りすぎたので地点まで進行した時、被害者が地点(弁護人註―23.50m)まで進行してきたので危険を感じ停車したところ×(弁護人註―道路端より4.30mの地点)で衝突した」という趣旨になつた。

さらに一審の第一回公判に至つて、被告事件に対する陳述、および公判廷での供述を綜合すると「交差点にさしかかつたとき、中心線に一メートルのところで一旦停車し、右折する機会を狙つた。対向車が通過したあと大丈夫と思い右折しかかつたそのとき被害車両を発見した。被害車両のスピードが早いので危険を感じセンターラインを一メートルこえたところで停車した」となつている。

この三つに変化した被告人の供述のうち、原審は、第二を採用して判断している。

しかしながら、本件は昭和四二年七月一五日という古い事故であり、捜査機関の不手際から事故直後被告人から録取し調書を作成したのみで、実況見分もおこなわず、被告人も会社内の委員会で不可抗力の事故で被告人には責任はないと判定され、かつ警察の捜査もないので刑事責任追及はないと本件のことも忘れかかつていた約八カ月後に実況見分がおこなわれたのである。そのときには、事故現場も交差点がひろがり石台がとりはらわれ舗装される等かなり変化していた。

こうした状況での指示証明であり、供述である。そしてその後、また時間も経過して公判廷での供述がやや変化している。

以上のような経過をみると、もつとも信頼できるのは、もつとも記憶の生々しい時点である昭和四二年七月一五日の供述調書であるといわなければならない。原審判決は、この点を考慮せず、まん然と事故後八カ月もたつて記憶もうすれた時点での調書をそのまま採用して事実を認定し、誤認におちいつている。

昭和四二年七月一五日付供述調書によれば、被告人運転の車の停止位置はセンターラインを約一メートルこえているが、先行のコロナ車は何ら支障なく進行し、その後オートバイを七、八〇メートルの地点に発見したのでその場で停つていたところ衝突してきたというのである。道路端との間かくは4.30メートルは確実にあつたのであり、オートバイはゆうに通過できたといわなければならない。たとえ、被告車が中心線をこえていても直進車との距離が本件のように相当あれば、事故発生の原因となつた義務違反には到底なりえないといわなければならない。

本件事故の原因は、いつにオートバイ運転手星新造の前方不注視にあつたといわなければならない。

三、仮りに、事実が原審判断のように「国道の中央線に沿つて一時停止したが、その際約七一メートル前方の対向車線上に被害者の運転する自動二輪車を認めたものの、被害車両の前車が通過して後に被害車両の前方を横切つて右折し得るものと」考え、「右折を開始して約二メートル進行し、自車前部を中央線より約一メートル斜め右前方の対向線上に進出させた」ところ、「折柄対向車線上を中央線に寄つて進行してきた被害車両が約24.9メートルに迫つているのに気付」いて、「危険を感じてその場に停止する措置をとつたものである」としても、本件事故の原因の一が被告人の対向車との安全確認義務違反にあるとはいえない。

何故ならば、本件の交差点での優先車は、被告人の運転する車である。道路交通法第三七条二項は、交差点を直進しようとする時は、当該交差点においてすでに右折している車両等の進行を妨げてはならないと定めている。右折車の運転者は、交差点に向つて近づいてくる直進車との距離などの目測によつて右折動作を継続するか否かを判断するのであるが、制動距離の関係から車道幅員一〇ないし二〇メートルで自動車の法定速度四〇キロの場合、直進車が交差点の手前二〇メートルにあるならば右折できるとされている。(横井=木宮「注解道路交通法」(再訂版)一〇二頁)。

被告人の右折判断は、残余車道幅員が七メートル位であつたこと、直進車は交差点より約四〇余メートル位の地点であつたこと(昭和四三・三・一三日付実況見分調書参照)から、誤つているとはいえないのである。そしてすでに右打の合図をし、右向きに傾斜して停止していた被告車が右折をはじめ、すでに右折していたのであるから、直進車であるオートバイは、一時停止する等、右折車の進行を妨げてはならないのであり、また、その点についての信頼があるというべきである。

なおさらに本件交差点は、西方より南方が必ずしも見通しがよいとはいえなかつたので、星新造としては、交差点に入るについては徐行しなければならなかつた。

ところが暴走ともいえる高速で交差点に進入してくるので、かつ菊原証言にあるようにジグザグで進行してくるので被告人は危険を感じ急停車し、自車の前方を通過するのを待つていたところ、自車前部右隅に衝突したのである。

また、被告人の運転する車と交差点の端との間かくは、すくなくとも4.30メートルはあつたので、前方を注視していれば、ゆうに通過できたのである。

このように本件事故の原因は、いつに、星新造の前方不注視、制限速度をこえて交差点に進入した無謀な運転行為にある、というべきである。

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